一般社団法人大槌新聞社

町長、10年前の責任認め、初めて謝罪

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2021年4月2日

 東日本大震災で職員39人が亡くなった大槌町旧役場庁舎跡地で3月11日、職員合同追悼式が行われました。震災当時、総務課主幹で防災担当だった平野町長は、高台に避難せず、町民への避難指示の発令を上司に具申しなかったことを認め、初めて謝罪しました。そして、旧庁舎跡地を震災伝承の場として活用することを約束しました。

【平野町長の追悼の言葉は後半に掲載】

県外から寄贈された献花台や地蔵を避け、解体跡地に向かって頭を下げる職員や遺族(写真左)。今年も多くのマスコミが取材に訪れた(写真中央) =2021年3月11日・旧役場庁舎前

 

 平野町長は「防災行政の実務担当者として甚大な被害を防げなかったことへの責任」を重く受け止めるとし、犠牲となった職員や町民、遺族に謝罪。「職員用の防災手帳に記載されていた内容が周知徹底されておらず、大津波の襲来を予測できないまま役場庁舎前にとどまって高台に避難する機会を逸し、さらに町民に対する避難指示の発令を町長、総務課長に具申できませんでした」と認め、「同じような事態を二度と繰り返さない」と誓いました。

 また、自らの強い意向で2019年に解体した旧庁舎跡地については、これまで「防災空地」とこじつけ、放置していましたが、「津波の高さや恐ろしさをイメージでき、視覚的に伝えられるものを設けるなど、積極的に震災伝承の場として活用していく」と約束しました。

 

■「旧庁舎跡地、必ず活用」

 この町長発言について、臼澤良一議員は3月15日、3月議会定例会で平野町長に改めて問いただしました。平野町長の答弁を聞いた町民や議員の中には、「旧庁舎跡地ではなく、(仮称)鎮魂の森や(観光船が津波で乗り上げた)民宿あかぶ跡地を活用すると言い直したのではないか」と思った人がいたようです。

 大槌新聞が3月16日、平野町長に確認したところ、「言い直してはいない。追悼式で述べた通り、旧庁舎跡地を活用するということで間違いない」と断言。「震災伝承の場として必ず活用する」と約束しました。

 

【平野町長追悼の言葉・全文】

 あの東日本大震災津波から今日で10年。最愛の家族を亡くされたご遺族の皆様にとって、この深い悲しみはどんなに時が流れようとなお果てることはありません。あの日、大変お世話になり、長年苦労を共にした加藤町長をはじめ先輩や同僚、後輩たちをこの場所でそして町内で一度に失った私も同じ思いであります。また、自分が生き残ってしまったこと、がれきの中の仲間を助けることができなかったことなど、この10年ずっと思い続けてきました。これからもずっとそうでしょう。改めて震災で犠牲となられた職員40名の皆様お一人お一人のお顔を懐かしく思い出し、心から哀悼いたします。

 私は今ここに立ち、震災当時の防災行政の実務担当者として甚大な被害を防げなかったことへの責任を重く受け止め、犠牲となられた職員並びに町民の皆様、そのご遺族に深くお詫びを申し上げます。当時を振り返りますと、地震津波に対する危機感が薄く、改訂した地域防災計画に津波常襲地帯である大槌町の過去の教訓が十分に活かされなかったことは否めません。また、職員用の防災手帳に記載されていた内容が周知徹底されておらず、大津波の襲来を予測できないまま役場庁舎前にとどまって高台に避難する機会を逸し、さらに町民に対する避難指示の発令を町長、総務課長に具申できませんでした。ここに改めて深く反省をし、職員の命を守り、同じような事態を二度と繰り返さないことをお誓い申し上げます。

 この旧庁舎跡地は東日本大震災津波により災害対策の拠点となるべき役場と職員の命を失うことにより、復旧復興に困難をきたすことになった象徴的な場所と言えます。震災の出来事や教訓を町内外に伝えるために、津波の高さや恐ろしさをイメージでき、視覚的に伝えられるものを設けるなど、積極的に震災伝承の場として活用していくことをお約束いたします。

 これまで二度の震災検証、震災犠牲者回顧録「生きた証」の発刊、犠牲者物故者納骨堂の整備、震災アーカイブシステムつむぎの構築、震災記録誌「生きる証」の発刊などの震災伝承事業に取り組んでまいりました。そして昨年から進めております東日本大震災津波犠牲職員状況調査の報告書を近く職員のご遺族にお渡しし、役場としての説明責任を果たせればと思っております。

 過去を直視し、真摯に反省を重ねることは、とりもなおさず現在そして未来を見つめることにほかなりません。3月11日というこの特別な日を深く胸に刻み、故人を忘れず思い続けることこそが、震災で離ればなれになった心や体をこの大槌の町につなぐ道だと強く信じております。